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Random Thoughts on BJJ, Pro Wrestling, MMA, etc.
Saturday, December 13, 2003
だらだら話
鷹板(http://hyper4.amuser-net.ne.jp/~auto/b13/usr/vtbanzai/brd1/bbs.cgi)での最近の議論から何となくスピンオフ。例の曙vsサップをやるK-1の競技性と興行性についての話で、「興行性重視で問題なし」「もちっと競技性を出せ」「いやこれはこれで競技だ」みたいな意見の相違があって、競技とはなんぞや、スポーツとはなんぞや、みたいな難しい話題にもなってる。
で、このよーに総合格闘技のスポーツ化と興行性、って話が出て来ると、やっぱり日米の土壌の差ははでかいなあ、って思う。日本は、厳密な競技化へのプレッシャーって低いんだよね。プライドもK-1も、スポーツとしての公平さとか厳密さとかを平気で踏みにじりオモロくすることで、大衆の注目を得て成功している。強硬にスポーツ化を推進してる修斗は、現在一般大衆を引き付けることにはイマイチ成功していない。でもこっちのUFCは、当然のよーに世間からもファンからも文句を食らって、州コミッションに認められるくらいのスポーツ性を前面に押し出さざるを得ない状況。
どこにあるんだろ、この違い? (以下、それこそ空港で売ってる国際派サラリーマン用の日米文化論、みたいな文化本質主義的な話になります。この種の話は全てマユツバもんなんだけど、でもやっぱおおざっぱな全体の傾向、ってのはある気がするんだよな。そこから個人を判断したりするのはダメだけど)
ひとつには、もしかしたら根っこの部分で「物語から距離を置くことを楽しむ日本人」と「物語を(反対するにせよ賛成するにせよ)間に受けるアメリカ人」って違いがあるのかなあ、と(当然どっちも先進国社会で、多くの物語はとっくに昔みたいな力を失ってるわけだけど)。
つまり、「スポーツ化」という生真面目な教条を、日本の多くの人はまったく気にしない。むしろそれを笑い飛ばすようなエンターテインメント的なカードとか、煽り方が好まれる。アメリカはその逆。プライドやK-1みたいなむちゃくちゃなカードはあり得ないし、「ドンキーコング」とか、野獣がリンゴを握りつぶすとかもあり得ない。あと、アメリカでは「暴力反対」みたいな生真面目な教条を間に受けて生きてる人が未だにいるから、そういうのが圧力になったりもする(逆にその正反対の暴力主義みたいなのを主張する文化もある気がする)。
話はぜんぜん飛ぶんだけど、去年日本でゼロワンを観たとき、観客がこてこてのレトロプロレスを楽しんでいたのをみて、そこにやっぱりなんか日本的なシニカルな「距離感」を感じた。あえて昔の純粋だった自分に戻って楽しむ、その「あえて」の部分で遊んでいるとゆーか。でも、今年の初めにホーガンがWWEでブレイクした時、アメリカの人々はけっこう真剣にホーガンにmark out (動詞。「マークとして何も考えずに喜ぶ」みたいな意味の、間違いなくプロレスマニア内でしか通じない特殊用語)(*)してたって感じ。もちろんそこにも「あえて」はあるんだろうけど、ゼロワンの観客から感じた「こういう古き良きプロレスはもう完全に失われてしまっているんだ」的な諦めから来る距離感と笑い、みたいな匂いはほとんどしなかった。80年代の夢に、アメリカ人は今でもまっすぐ反応してるとゆーか(って、全部俺が勝手に「感じた」ことを元にして書いてるだけなんだが)。
しかし(またまた話は飛ぶが)なんかこー書いてると、だいぶ昔に(笑)田中せんせがアメプロ流のカミングアウト型ビジネスモデルを日本に持ち込もうとしたとき、猛反発したファン達が、日本はアメリカとはファン気質がちがうんじゃーと日本特殊論を爆発させたのと、同じよーなことを俺も言ってるよーな気がするな。でも、俺はカミングアウト自体は別に日本でもうまくいく可能性はあるかと。ただ、それをどういうふうに日本的な感性や笑いに結び付けるか、ってことが問題で。
俺は、実はこの「笑い」って点では、W-1ってのはけっこういいセン言ってたと思う。サップのダンス入場シーンとか、その野獣性をおおげさに逆手に取って笑うよーなところは、けっこう日本的なツボを付いてたんじゃないかな。ただ、日本のプロレスファンってのは、アメリカ人ファン以上にレスラーの訓練度やワークレイトの高さを重視するし、あとムーブに「情念の表出」みたいなもんを求める傾向が強い。そのへんの読みが甘かったとゆーか。
っても、このへんのワークレイト重視とか、情念がどうこうってのが、さっきの「距離感」の話とどー結びつく/つかないのか、良く分からん。そもそもこーゆー話するなら、日本のプロレスをもっとちゃんと追わないと。
(*)smark out という言葉が使われたのも数度見たことある。ただこのsmarkという言葉、日本で受け止められてるみたく、他人のシュマークぶりを(スマートが)笑うためにあるというよりは、こっちのインディーマニアとかが、自分達があえて知ったかぶってることを自嘲気味に表現するときに使われることが多いんじゃないかな? 妙に自己言及的というかシニカルというか、ある意味こっちの方でむしろ、日本的な匂いの強い使われ方をしている。使ってる人間の多くが、日本のプロレスマニアとか、そーゆー連中だし。とりあえず俺は、日本で考えられてるように、「(知らないくせに)知ったかぶりする人間」を揶揄するときには田中せんせの作ったオリジナル発音の「シュマーク」を、アメリカにいる(自分達をマニアと認識しsmarkと名乗っている)マニア集団を指すときは、本来の発音である「スマーク」を、と使い分けることにしている。
で、このよーに総合格闘技のスポーツ化と興行性、って話が出て来ると、やっぱり日米の土壌の差ははでかいなあ、って思う。日本は、厳密な競技化へのプレッシャーって低いんだよね。プライドもK-1も、スポーツとしての公平さとか厳密さとかを平気で踏みにじりオモロくすることで、大衆の注目を得て成功している。強硬にスポーツ化を推進してる修斗は、現在一般大衆を引き付けることにはイマイチ成功していない。でもこっちのUFCは、当然のよーに世間からもファンからも文句を食らって、州コミッションに認められるくらいのスポーツ性を前面に押し出さざるを得ない状況。
どこにあるんだろ、この違い? (以下、それこそ空港で売ってる国際派サラリーマン用の日米文化論、みたいな文化本質主義的な話になります。この種の話は全てマユツバもんなんだけど、でもやっぱおおざっぱな全体の傾向、ってのはある気がするんだよな。そこから個人を判断したりするのはダメだけど)
ひとつには、もしかしたら根っこの部分で「物語から距離を置くことを楽しむ日本人」と「物語を(反対するにせよ賛成するにせよ)間に受けるアメリカ人」って違いがあるのかなあ、と(当然どっちも先進国社会で、多くの物語はとっくに昔みたいな力を失ってるわけだけど)。
つまり、「スポーツ化」という生真面目な教条を、日本の多くの人はまったく気にしない。むしろそれを笑い飛ばすようなエンターテインメント的なカードとか、煽り方が好まれる。アメリカはその逆。プライドやK-1みたいなむちゃくちゃなカードはあり得ないし、「ドンキーコング」とか、野獣がリンゴを握りつぶすとかもあり得ない。あと、アメリカでは「暴力反対」みたいな生真面目な教条を間に受けて生きてる人が未だにいるから、そういうのが圧力になったりもする(逆にその正反対の暴力主義みたいなのを主張する文化もある気がする)。
話はぜんぜん飛ぶんだけど、去年日本でゼロワンを観たとき、観客がこてこてのレトロプロレスを楽しんでいたのをみて、そこにやっぱりなんか日本的なシニカルな「距離感」を感じた。あえて昔の純粋だった自分に戻って楽しむ、その「あえて」の部分で遊んでいるとゆーか。でも、今年の初めにホーガンがWWEでブレイクした時、アメリカの人々はけっこう真剣にホーガンにmark out (動詞。「マークとして何も考えずに喜ぶ」みたいな意味の、間違いなくプロレスマニア内でしか通じない特殊用語)(*)してたって感じ。もちろんそこにも「あえて」はあるんだろうけど、ゼロワンの観客から感じた「こういう古き良きプロレスはもう完全に失われてしまっているんだ」的な諦めから来る距離感と笑い、みたいな匂いはほとんどしなかった。80年代の夢に、アメリカ人は今でもまっすぐ反応してるとゆーか(って、全部俺が勝手に「感じた」ことを元にして書いてるだけなんだが)。
しかし(またまた話は飛ぶが)なんかこー書いてると、だいぶ昔に(笑)田中せんせがアメプロ流のカミングアウト型ビジネスモデルを日本に持ち込もうとしたとき、猛反発したファン達が、日本はアメリカとはファン気質がちがうんじゃーと日本特殊論を爆発させたのと、同じよーなことを俺も言ってるよーな気がするな。でも、俺はカミングアウト自体は別に日本でもうまくいく可能性はあるかと。ただ、それをどういうふうに日本的な感性や笑いに結び付けるか、ってことが問題で。
俺は、実はこの「笑い」って点では、W-1ってのはけっこういいセン言ってたと思う。サップのダンス入場シーンとか、その野獣性をおおげさに逆手に取って笑うよーなところは、けっこう日本的なツボを付いてたんじゃないかな。ただ、日本のプロレスファンってのは、アメリカ人ファン以上にレスラーの訓練度やワークレイトの高さを重視するし、あとムーブに「情念の表出」みたいなもんを求める傾向が強い。そのへんの読みが甘かったとゆーか。
っても、このへんのワークレイト重視とか、情念がどうこうってのが、さっきの「距離感」の話とどー結びつく/つかないのか、良く分からん。そもそもこーゆー話するなら、日本のプロレスをもっとちゃんと追わないと。
(*)smark out という言葉が使われたのも数度見たことある。ただこのsmarkという言葉、日本で受け止められてるみたく、他人のシュマークぶりを(スマートが)笑うためにあるというよりは、こっちのインディーマニアとかが、自分達があえて知ったかぶってることを自嘲気味に表現するときに使われることが多いんじゃないかな? 妙に自己言及的というかシニカルというか、ある意味こっちの方でむしろ、日本的な匂いの強い使われ方をしている。使ってる人間の多くが、日本のプロレスマニアとか、そーゆー連中だし。とりあえず俺は、日本で考えられてるように、「(知らないくせに)知ったかぶりする人間」を揶揄するときには田中せんせの作ったオリジナル発音の「シュマーク」を、アメリカにいる(自分達をマニアと認識しsmarkと名乗っている)マニア集団を指すときは、本来の発音である「スマーク」を、と使い分けることにしている。