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Random Thoughts on BJJ, Pro Wrestling, MMA, etc.
Tuesday, November 15, 2005
もうひとつだけ!
昨夜はどーにも寝てもすぐに起きてしまうので、どっかで買ったまま棚に入れっぱなしだったRF Video 製のVHS「エディ・ゲレロ シュートインタビュー」というのを見始めた(まだ途中だけど)。2001年に撮られたもの。たった4年前とは思えないくらい若い。現在のキャラにおける「ハイテンションなおいちゃん」って感じはまったくなく、むしろ「陰のある青年」って感じ。当然WWEスキットで使うようなコテコテスパニッシュなまりでなく、ふつうに静かに(ややスペイン語アクセントがある程度の)英語を話してる。
「メキシコでデビューしたけど、今まで慣れていた英語でなく、スペイン語でみんなハイスポットのサインをささやいてくるんで慣れるのに苦労した」とか「(手本としてたネグロ・カサスの紹介で行った)日本では金本&大谷とはとにかくケミストリー(相性)が合った。」とかいろいろ興味深いことを話してる。そんな中、ひとつだけどうしてもメモっときたいことが。
それは「アート・バー(エディのパートナーのラブ・マシーン)が亡くなったことをいかに知ったのですか?」という質問を受けたとき。
それまでは、もの静かながらも快調に話していたエディは小さく「オーガッド」とだけ言い、大きく呼吸をした後、しばらく言葉を発せずにいる。やがてゆっくりと「その時は日本にいたんだよ。当時の彼女が電話で教えてくれたんだ・・・」と話し出す。しばらくの間はその事実を受け止めきれなかったこと等を話した後、
「彼の死は、あなたにどのような影響を与えましたか? プロとして、そして個人として?」と次の質問が。
エディは辛そうな顔でしばらく考え、やがて小さな声で「個人的には・・・今でも考えるんだ・・・(しばし沈黙の後)アートは死にたくなかったと俺は知っている・・・彼は自分の息子のためにも生きたかったはずだし、もうひとり出来る予定だった。絶対死にたくなかったはずだ。俺はこのことは何度も自問したんだ。」
「それが俺にどういう影響を与えたか?(顔を手でおおう)・・・たぶん、俺の人生に対して、より感謝するようになったよ・・・当時はね(と、念を押すように質問者に視線を向ける)。俺はものすごくビビったんだ、当時はね(と、再び同じ視線)。」
「仕事の面では、俺はこのことで尻に火がついた・・・つまり、もっと金を稼がなきゃと考えるようになったんだ。成功したいとかじゃないよ。成功したかどうかなど、いろんな面から測れることだし。単に金を稼ぐってことだ。もしも俺に何かが起こっても、子供達に、家族になにかを残せるように・・・」
「(ここからトーンが上がって)本当に俺はビビったんだ。当時は、だけどね(と笑う)。ドラッグに対して、ピルに対して、俺は本当にビビった。」
ここで質問者は話題を変えて新日本時代の話に移ってゆく・・・
エディは(当時の俺と今は違う、としきりに強がっているけど)バーのようになることをいつも恐れていたんだろうな、家族のためにも絶対に行きたくなかったんだろうな、と考えると呼吸が苦しくなるし、でも/だからこそ、そんな彼はこの後WWEで頂点に立って、少なくとも金銭面では家族に充分遺せたんだろう、ということを慰めにしたくもなる。
ちなみにこの後インタビューでエディは、ライガーをアルティメットプロフェッショナルだと最大の賛辞を贈り、J-cupの思い出を語り、フロッグスプラッシュはラ・フィエラを手本にした(実はアート・バーの方がエディから盗んだ)とか、ECWでは今までのキャリアで最高の経験をできたとか、WCWにおいて、DDPはハードワーカーとして大いに認めるけど、試合のすべてにシナリオを作ろうとするのは気に入らない、俺はファンの反応を見てアドリブすることに価値を置くとか、興味深い話をいろいろしてるようだけど、きりがない(まじ俺、やることやんなきゃやばい状況だし)。エディはジェリコ、ベノワ、レイ、チャボ、マレンコ、レイを戦友として深く愛していて、世話になった人に感謝の気持ちを忘れない、ホント昨日スーパースター達が涙ながらに語っていたままの人間だな、と分かる。
「メキシコでデビューしたけど、今まで慣れていた英語でなく、スペイン語でみんなハイスポットのサインをささやいてくるんで慣れるのに苦労した」とか「(手本としてたネグロ・カサスの紹介で行った)日本では金本&大谷とはとにかくケミストリー(相性)が合った。」とかいろいろ興味深いことを話してる。そんな中、ひとつだけどうしてもメモっときたいことが。
それは「アート・バー(エディのパートナーのラブ・マシーン)が亡くなったことをいかに知ったのですか?」という質問を受けたとき。
それまでは、もの静かながらも快調に話していたエディは小さく「オーガッド」とだけ言い、大きく呼吸をした後、しばらく言葉を発せずにいる。やがてゆっくりと「その時は日本にいたんだよ。当時の彼女が電話で教えてくれたんだ・・・」と話し出す。しばらくの間はその事実を受け止めきれなかったこと等を話した後、
「彼の死は、あなたにどのような影響を与えましたか? プロとして、そして個人として?」と次の質問が。
エディは辛そうな顔でしばらく考え、やがて小さな声で「個人的には・・・今でも考えるんだ・・・(しばし沈黙の後)アートは死にたくなかったと俺は知っている・・・彼は自分の息子のためにも生きたかったはずだし、もうひとり出来る予定だった。絶対死にたくなかったはずだ。俺はこのことは何度も自問したんだ。」
「それが俺にどういう影響を与えたか?(顔を手でおおう)・・・たぶん、俺の人生に対して、より感謝するようになったよ・・・当時はね(と、念を押すように質問者に視線を向ける)。俺はものすごくビビったんだ、当時はね(と、再び同じ視線)。」
「仕事の面では、俺はこのことで尻に火がついた・・・つまり、もっと金を稼がなきゃと考えるようになったんだ。成功したいとかじゃないよ。成功したかどうかなど、いろんな面から測れることだし。単に金を稼ぐってことだ。もしも俺に何かが起こっても、子供達に、家族になにかを残せるように・・・」
「(ここからトーンが上がって)本当に俺はビビったんだ。当時は、だけどね(と笑う)。ドラッグに対して、ピルに対して、俺は本当にビビった。」
ここで質問者は話題を変えて新日本時代の話に移ってゆく・・・
エディは(当時の俺と今は違う、としきりに強がっているけど)バーのようになることをいつも恐れていたんだろうな、家族のためにも絶対に行きたくなかったんだろうな、と考えると呼吸が苦しくなるし、でも/だからこそ、そんな彼はこの後WWEで頂点に立って、少なくとも金銭面では家族に充分遺せたんだろう、ということを慰めにしたくもなる。
ちなみにこの後インタビューでエディは、ライガーをアルティメットプロフェッショナルだと最大の賛辞を贈り、J-cupの思い出を語り、フロッグスプラッシュはラ・フィエラを手本にした(実はアート・バーの方がエディから盗んだ)とか、ECWでは今までのキャリアで最高の経験をできたとか、WCWにおいて、DDPはハードワーカーとして大いに認めるけど、試合のすべてにシナリオを作ろうとするのは気に入らない、俺はファンの反応を見てアドリブすることに価値を置くとか、興味深い話をいろいろしてるようだけど、きりがない(まじ俺、やることやんなきゃやばい状況だし)。エディはジェリコ、ベノワ、レイ、チャボ、マレンコ、レイを戦友として深く愛していて、世話になった人に感謝の気持ちを忘れない、ホント昨日スーパースター達が涙ながらに語っていたままの人間だな、と分かる。